8日に群馬で、9日に東京でコンサートに出演しました。
8日は箏奏者の本間貴士さんの作品リサイタル。
非常に大規模なリサイタルで、大人数でボリュームのあるプログラム。
私は本間さんの師匠 水野利彦氏の作品「荒城の月 21」のバリトン独唱を務めさせていただきました。箏独奏には本間さんに加え、作曲の水野先生ご自身も演奏なさっていました。
13分超の大作。邦楽器の大合奏で歌わせていただくのは初の体験でした。
本間さんの作品、演奏も多種多様で素晴らしいものでした。
あの規模のリサイタルを一人でまとめ上げるなど、僕にはできない事です。
1,000席の会場も満席。本間さん、おめでとうございました。
一方、複数のお箏などの転換は非常に大変なのだなあと、普段のオケとは違う大変さも感じました。
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9日は東京に移動し、サントリーホールにて武蔵野合唱団の60周年記念のコンサート。
三木稔作曲「レクイエム」のバリトン独唱でした。
以前、三木先生のメモリアルコンサートでは管弦楽版で歌わせていただきましたが、今回は旧版ということで、管弦楽版ではソプラノソロになっている箇所もバリトン独唱で初めて歌わせていただきました。
指揮は小林研一郎先生。合唱は小林先生とともに60年という年月を歩んできた武蔵野合唱団。
今回は突然出演させていただくことになったのですが、稽古も妥協せず非常に濃密な時間でした。
写真は終演後、小林先生と。
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作曲の三木稔先生には「春琴抄」の佐助を演じた際にお世話になり、その後徳島で行われた「じょうるり」(阿波抄掾役で出演)の稽古期間中にご逝去されました。春琴抄を終えた後、三木先生より「三木作品はバリトンが主要な位置付けになっている作品が多いので、今後もぜひ三木作品を歌っていってほしい」とメッセージをいただいたことがありました。三木先生がつないでくれたご縁だったのかもしれません。
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三木作品のバリトンは音域が広く、繊細な歌い回しから、力強い声まで要求されます。
「じょうるり」は、はじめ主要三役(阿波抄掾、お種、与助)のうち若い与助の役で依頼を受けましたが、より重い表現が必要な阿波抄掾(声種としてはバス・バリトンくらいの音域にあたります)がなかなか決まらず、自分が阿波抄掾にずれて、与助は坂下忠弘君を紹介しました(特に繊細さは見事に与助にマッチしていました)。
「春琴抄」の佐助はバスからテノールの音域まで求められます(なので妥協策として低音を捨ててテノールが演じることもあります)。また、春琴のために自分の目を針で突いたりと、演じるのも非常に難しい役柄です(春琴との関係性、そして優しさの中に持つ並外れた芯の強さ)。他の作曲家であればテノールで描かれるであろう役柄ですが、三木先生はバリトンとしました。
今回のレクイエムは、旧版の構成で演奏されました。
最新の版(亡くなる直前に完成した管弦楽版も含め)では曲が追加されバリトンとソプラノのソロがありますが、もともとは独唱はバリトンしかありませんでした。
音楽の荒々しさと緻密さ、そして言葉の強さと美しさ、相反するような要素ですが、その両方が求められます(これは合唱も同じだと思います)。稽古でもその四つに関してかなりこだわってらしゃったと思います。
今回は今まで三木レクを振ったのとは違う振り方をした、とおっしゃっていました。
それだけ難しい(現代曲としてソルフェージュ的にひどい難しさというわけではありません)作品なのかなと思います。
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三木作品に出会ったのは大学院を出た直後でした。
実はその前から邦人の作品には興味があり、修士論文、演奏は原嘉壽子さんの「さんせう大夫」を取り上げました。
(オペラ作品を数多く書かれた原さんも昨年ご逝去されました)
その後望月京作曲「パン屋大襲撃」三善晃作曲「遠い帆」などに出させていただきました。
その中でも三木作品は、自分が演奏した作品が数多いというわけではありませんが、自分の中で特別な位置付けにあります。
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連日の本番でしたが、素晴らしい時間でした。
和の作品が続きましたが、12月にはNHK交響楽団「サロメ」に出演いたします。
体調を崩しやすい時期ですが、体調には気をつけて頑張っていきたいと思います。